金の魅力に長年人間は取り憑かれていると言ってもいいほど、過去に黄金伝説はたくさんあります。
- 南米の秘境エルドラド
- 黄金の国ジパング
- テンプル騎士団が残したと言われる隠し財産
など未だ終止符を打たれていない話はこの世界にたくさんあります。今回は、世界の黄金伝説と金の産出地をランキングを解説。
1.300年も信じられていた黄金郷エルドラはスペインの探検家達のビックマウス
金は人々の夢であり、追い求める価値のある物です。黄金郷を求めて、あてもない旅をしてきた人達は、夢を追い求めて遠い土地まで遥かな旅をしてきたのです。 黄金郷は見つかったのでしょうか…。その歴史を解明していきます。
南米大陸のコロンビアを北に57キロほど行った場所に、グアタビータ湖があります。そのあたりには、16世紀ごろまで金の採掘と装飾の文化が栄えたチブチャ文化がありました。
エル・ドラード伝説の基とされる黄金の儀式を模した装飾品—出典:Wikipedia
その部族の首長は、体に金箔を塗り・湖に奉納品を納めるという儀式をする習慣があったのですが、、、その話を聞いたスペインの探検家達が『その場所に黄金郷がある』という話をしているうちに話が大きくなり、黄金郷エルドラドの伝説になってしまったのです。
この大きなホラが原因で、多くの探検家たちはこの土地へ侵略・略奪を招いてしまいました。
黄金郷に魅せられた3人の探検家達
1521年にアステカ王国を侵略したエルナン・コルテス
スペインのコンキスタドール。(コンキスタドールとは探検家・征服者という2つの意味がある)メキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。
彼はかなりのカトリック信者だっため、先住民を野蛮扱いし奴隷扱いした。征服先で多くのインディオを大虐殺。コルテスの行為は現代は文化破壊行為として批判的な扱いになっている。多くの書籍に『強い探検家像』として登場し、行った下劣な行為とは裏腹に容姿端麗として描かれていることが多い。
1533年にインカ帝国を侵略したフランシスコ・ピサロ
彼もスペイン人のコンキスタドール。父は軍人で小貴族、母は召使であったとされ、教育はされなかったので文字も読めなかった幼少期を過ごすが、スペインの紙幣にも乗るほど名を挙げた人物。
イタリア戦争に参加中ペルー黄金郷の話を耳する、ローマ皇帝よりペルー侵略の許可を得て貴族の位もゲット。インカ皇帝を生け捕りし侵略は大成功。莫大な貴金属類を身代金として受け取るが皇帝を処刑。彼の侵略はインカ帝国を滅ぼすまで至る。
貴重な黄金は、スペインの探検家達によって略奪されたのですが、結果として黄金郷エルドラドは存在していないという事実を、19世紀初頭、アレクサンダー・フォン・フンボルトがアンデスやアマゾンを踏破したことによって、証明されたのです。
19世紀初頭の地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト
ドイツの地理学者。ヨーロッパ旅行をきっかけに世界探検家に転身。コロンビアからアンデス山脈伝いにペルーまで困難な探検を行い、チンボラソ火山の山頂まで400mの地点まで到達し、リマに到達。調査研究を行い黄金は存在しないと証明。
黄金郷エルドラドは存在しなかったものの、黄金は世界中で発掘が大ブームに。世界のどこで発掘されたのかランキングで紹介しましょう。
2.世界の金産出国 ランキング
1位|南アフリカ
クルーガーランド金貨で有名な南アフリカは、豊富な地下資源を持ち、金の他にも銀や銅、ダイヤモンドなども産出されています。
施設の老朽化などにより、以前よりは産出量が減っていますが、金の産出量は世界一を誇ります。
▲グルーガーランド金貨
2位|オーストラリア
広い国土と豊富な資源で、南アフリカを追い上げています。10%ほどの産出量です。
3位|アメリカ
ゴールドラッシュでお馴染みのアメリカですが、その頃の勢いはなくても、金の産出はあります。
4位|中国
8%ほどの産出ですが、広い国土があるので、設備が整えばさらに多くの金の産出が期待できるでしょう。
3.黄金の国ジパングと呼ばれたわけ
日本はかつて黄金の国ジパングと呼ばれていましたが、過去に主要な金山を彫りつくしてしまった事で、現在はわずか0.3%の産出量です。 かつては日本の経済を支えてきた日本の金の輸出も、今では過去の話になってしまいました。
東方見聞録に書かれていた内容が由縁です。東北見聞録はマルコポーロがピサに書かせた旅行沖で、フランス語で書かれている。ここには日本及び韓国のことが書かれているが、マルコポートは日本に来たことがない状態でこの旅行記を執筆している。
- この国ではいたる所で黄金が見つかるため、国人は誰でも莫大な黄金を所有している
- 宮殿は、それこそ純金ずくめでできている
- この国の宮殿の屋根はすべて黄金でできている
- 床には分厚い黄金が敷かれている
- 黒胡椒も白胡椒もきわめて豊富である
この東北見聞録の影響は非常に大きくヨーロッパ人のほとんどが信じていたが、マルコポーロは中国で聞いた日本の噂をまとめて『黄金の国ジパング』としていた。
4.テンプル騎士団が残したと言われる隠し財産
テンプル騎士団とはエルサレムの巡礼者を保護するために設立された、騎士修道会。彼らは4つのグループから構成されていました。
- 騎士|重装備の貴族出身
- 従士|軽装備の民兵出身
- 修道士|資産管理
- 司祭|霊的指導
騎士団は税金の免除という特権もあり、巡礼先で金銭に困った時に現地で金を調達でき、寄付や寄進も受けられるといた特権階級であり、その有り余る財産で金融業をも行う。
テンプル騎士大の財政関係がどのようになっていたかは歴史上学者達の中でもわかっておらず、フランス政府・テンプル騎士団どちらかが債務者で債権者なのかすら未だ解明されていない。この溜め込んだ金は『行方不明』のままでありひどい処刑を受けた騎士達はだれも口外することがないままとされています。
5.まとめ
現在は金の産出も、かつての黄金時代ほどの量は産出されなくなりました。金が産出される量は限られていると言われていますし、金そのものを作り出すことも不可能な事だという事も知られています。とはいえ、金の産出量が減っている事は事実です。限られた資源を大切に、黄金への夢を忘れないようにしたいものです。